自然は変化し続けるで、人も
ホースの修理を終え、重い足を引きずって歩いていると目の前を横切る何か「ええ〜何やこれ?」ずんぐりむっくりで、見た目は愛くるしい感じだ。
ゆっくりと堂々と道路を横ぎり、山の下に続く道を歩いていった。
道場に帰り妻に聞くと「アナグマ」だという。
妻も数年前、水タンクのところを横切ったそうだ。
本来夜行性だから、まず見ない。
そうだろう、ここに住んで40年だが、私が見たのは今日が初めてだ。
妻もその時見たきり、見ていない。
そういえば、逆に最近は鹿を見ていない。
それら山の生態系も、変化し続けているのだろう。
20年ほど前迄はヤモリはいなかったが、今では普通に見る。
ゴキブリも見るようになっている。
温暖化と騒いでいるが、そうだろうか?
逆に氷期に近づいているという説もある。
自然という大きなスパンは、人間の高々70年100年スパンの頭で捉えられる筈もない。
いずれにしても、自分にとって都合の良いようにしか捉えられないので、常に変化に驚くしかないのだろう。
これは人間社会も同じだ。
他人は、自分の都合の良いように変化しないし、自分の都合の良いように生きてはくれない。
と分かっているのに自分の都合で予測してしまうから、他人の変化に常に驚くのだ。
予測しなければ良いし、もし間違って予測し、それが外れても「そんなもんやろ」と軽くすれば良いだけだ。
自分自身にもどんな変化が起こるかは分からない。
分かったところでどうすることも出来ない。
「そんなもんやろ」の範疇だ。
「武禅」の2泊3日は「人は変化する」と「他人の変化は予測できない」を体感させてくれる。
それくらい、時間の密度、関係の密度が濃くなるのだ。
日常では体感しない濃さを、人生一度は体験する方が良いに越したことはない。
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