知りたいから、理解したいから
福岡ワークショップの打ち上げで、他愛も無い話しで盛り上がった。
しかし、その時に「やっぱり」という場面があった。
女性Aが冷蔵庫とビールサーバーの話をしだした。
さっと聞き流すと、何てことの無い話だ。
私は、その話がもう一つ理解出来なかった。
つまり、女性の話しからその内容をクリアに想像出来なかったのだ。
私は悶々としながら、話しの続きに乗っていた。
周りには4,5人おり、話しに頷いたり笑いで反応していた。
「酔ったのかな」と思いつつ「あかん、話が見えないからもっと詳しくやって」と、話を蒸し返した。
やっぱり分からない。
どこか引っかかって、映像にはならないのだ。
皆も大笑いしながら、その女性の説明を繰り返し聞いていた。
私は、根掘り葉掘り質問を繰り返し、抜け落ちている点を探した。
「皆は分かったの?」と聞くと、「謎の部分が半分はあります」との事だった。
たったこれだけの事だが、それが「関係していない」という事なのだ。
「謎の部分がある」のなら、どうして質問しないのか?
誰かに対しての関心、あるいは好奇心が薄い、くだらない話しで分からない事があってもさっと流してしまうのだ。
私は話が面白かったから、そしてその面白い話をするその人はどんな人なのか?その事を理解しようとしているから、知ろうとしているから質問攻めになったのだ。
理解したい、知りたい、という好奇心が「関係」の入り口であり過程なのだ。
自分の話す事にしか興味がない、自分の話す事にも興味がない。
どうしてそんな人が、誰かと関係を築けるというのか?
107回「武禅一の行」は、10月7,8,9日です。