「興味がある」は、暇つぶしか
「今まで出会った武道家の中で、これは!と思う人はどれくらいいましたか?」と質問される。
この種の質問は多い。
しかも、武道を知らない人からの質問だ。
その武道を何も知らない人にとって「それを知ってどうするの?」だ。
だから、当然、そのように質問を返す。
すると、決まって「興味があるから」と応える。
興味があるのなら、武道について、あるいは、武道家についていくらかは知っていなければならない。
また、何も知らないのに「興味があるから」と応えるその「興味」というのは一体何のか?と思う。
その人達のいう「興味」とは一体何なのだろう?
逆にその事に興味が湧く。
思考回路はどうなっているのか?という興味だ。
これは、自分の立場や自分とは?を決めて生きていないから生じるものだと考える。
質問は、そういった「自分自身」という前提が決めるもので、浮き草のような思いが決めるものではない。
子供達でさえ、興味が湧いたら目が輝く。
しかし、そういった質問をする人は一応に目は輝かないし、輝いていない。
きっとそういう人達の「興味」というのは、こちらからみれば「暇つぶし」的なものなのだろうと思う。
私は他人の暇つぶしに付き合う程暇ではない。
もっと言えば、暇つぶしに生きている人が多いのではないかと思う。
大阪ワークショップは8月4,5,6日です。