血の通った人間ならば、は死語かな?

「大阪・明鏡塾」の体験会に、医師と看護師が受講してくれた。
もちろん、お二人は知人ではない。

本当に身体に「触れる」事で起こる身体の変化、本当に「話を聞く」事で起こる身体の変化。
つまり、人は生物であり反応を起こす動物である、という実際を体感され頭を抱えて帰られました。

もちろん、そういった微妙な事にピンと来られた人達だから、きっと本講座を受講されると思います。

「聴く・話す」は「武禅一の行」のメインテーマでもある。
自分では相手に話している「つもり」、相手の話を聴いている「つもり」だ。

つまり、多くの人は「つもり」で会話や関係性だと思い込んでいるという事だ。

それこそ、話の内容こそが大事で、自分に向けられている相手の人の気持ち等は無視だ。
でも、内容は理解できているから「話を聴けている」あるいは、「相手の人に」話している、になるのだ。

内容が理解できる、もしくは理解できるように伝える、というのは、当たり前の事だ。

大事なのは「相手の人」であり、その気持ちである。
血の通った人間であれば、それも普通の筈なのだが。

後ろからの声掛けだが、「その人」に出ないと、想いは届かない。
いくら呼び掛けても振り返らない、どうして?

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