人生には、生き生きと生きたか、死んでいるように生きたのか、の二つしかない
水曜日の大阪の稽古には、アルゼンチンからの体験希望者が、木曜日の東京にはブラジルから、同じく体験希望者が来ていた。
アルゼンチンの彼は、国で私の動画を見ながら稽古を続けており、ブラジルの彼も「キョウコツ・コカンセツ・ヒジ等々」を連呼し、その動きを真似てくれていた。
それは胸が柔らかい事で、かなりの量を稽古していたのが分かった。
その意味では、ITというツールは、ほんとに色々な人にまで役立つツールだと改めて思う。
私の動画が、全く知らない国の知らない人達の役に立っているのは、驚きと同時に嬉しい限りだ。
ブラジルの彼は「日野先生はブラジルでは有名ですよ」と教えてくれた。
アルゼンチンの彼は、私を国に呼ぶのが夢だと嬉しい事を言ってくれた。
アルゼンチンの彼に、私の身体を触らせながら、動画にある体重移動で相手を倒すのをやってみせた。
私の筋肉が反応していない事や、緊張しない事に驚いていた。
「自分のやっている事と全く違う」と驚きと共に喜んでくれていた。
私の体重移動の動画は、一番基本となる形であり稽古だから、アプローチは違ってもアルゼンチンの彼のように、似たような現象を作り出す事は出来る。
それはそれで楽しんでくれたら良いと思う。
ただ、このアルゼンチンの彼の言う通り、私のやっている事とは根本的に違うものだが、それは仕方が無い。
どんな事にでも取り組む人の最初の目的が違うからだ。
同じ事をしていても目的が違えば、何もかもが違うのだ。
私は「武道的身体」とでも言うべき「身体像」を探し続けている。
といっても、どこかにそれがあり、それを見つける、という「探し続ける」というものではない。
自分を通して作り出してやろう、というものだった。
何もかもが手探りだったが、そこをこじ開けられたのは「想像力」だった。
戦国時代の「戦い」を想像し、そこから「技」とするべきは何か?を考え出していった。
そんなとんでもない夢の中を彷徨ったのだ。
確かなものはどこにも無いが、私のどこかにそれは見えていたから、どんどん前に進めたのだ。
「日野さんはどこへ行くの?」
当時は、そんな質問をよくされた。
もちろん、自分にも分からないが、どういう訳か前に進み続けたのだ。
何もかもが手探り、という状況は、人をとんでもなく鋭くさせるのだ。
この修業期間中に発見した事、気付いた事、身に付いた事は「今の私」になってしまったのだ。
私の人生とはそんなものだ。
俗にいう世間の価値を共有せず、常に我が道を行く。
それが良いのか悪いのか、という問題ではなく、私が歩く道を決め、そして「今、生きている」それが私だ。
そんな私を、人は強いと言うが、人生に強いも弱いもない。
人生には、生き生きと生きたか、死んでいるように生きたのか、の二つしかないのだ。
11月1.2.3日 「武禅一の行」まだ空席がありますよ‼


