嘘くさい顔や声
ふと浮かんだのが「嘘くさい顔」という言葉だ。
何十年も使っていない言葉だ。
「どうして?」
ほんとにどうして使ってないのだろうか?
「こいつ、嘘くさい顔をしてるで」と使うものだから、嘘くさい顔をしている奴が減ったのだろうか?
それとも増え過ぎて区別できないからだろうか?
ま、それはどうでも良い。
ただ、どういう訳か私にとっては、嘘くさい顔という分け方を持っている。
また嘘くさい声もある。
私はそういった人達とは付き合わないし、それこそ以心伝心で相手が離れて行くので都合が良い。
そういった、微妙な「人の差異」に、何時頃から関心を持ちだしたのか?
それはきっと16歳時、1964年だろうと思う。
水商売に入って1年過ぎた頃だ。
その当時を思い出すと、間違いなくその時期は私にとっての過渡期だったと思う。
社会性そのものを知り磨いていた過渡期だったのだ。
どうして社会性を、なのかというと、水商売は人の魅力を商売とする社会だからだ。
やり手のママの下で働いたり、バーテンダー協会の役員がやる店で修行をさせて貰ったり、という環境の中で、一番学んだのが「人間」だ。
そして「人間関係」そのものだ。
大方の人はこの15.6歳という時期は学校で同世代の人達としか交わらない。
私は、50歳代のホステスさんから20代のホステスさんまでの幅や、同じ幅のお客さんを相手にしていたのだ。
自ずと言葉使いから仕草他、対社会的な事は身に付いてしまうし、もし下手を打てば叱られる事で覚えていったものだ。
私自身がこの16歳という年齢だから、きっと感性はピカピカだっただろうと思う。
だから、この時期の体験が、後何年生きるんやという76歳迄役に立っているのだ。
「嘘くさい顔や声」は、この頃にママやホステスさんから教わった処世術だ。
5月3.4.5日は「武禅一の行」です。残席はまだあります。