解釈を変えれば、全ては変わる
昨日の日曜日は、空手の熟練者が体験に来てくれていた。
空手だから、それに見合った稽古が良いだろうと思い、肘や肩の使い方から行った。
話を聞くと、何と熊野道場から1時間の新宮市が実家で、同じ町内の栗栖川がお祖母さんの家だそうだ。
そういった事情だから、熊野の道場の前の道を何度も通ったという。
「では」という事で、那智勝浦にあるこだわりのパン屋さんや、新宮高校の先生の話をすると、もちろん知っていて、パン屋さんの美味しさもご存じだった。
こんな事もあるもんだと驚いた。
新宮には、お亡くなりになったが、合気道10段の引土師範がおられた。
聞くと合気道をするか空手をするかを悩んで、空手を選んだという。
もし合気道を選んでいたら、今日のこの稽古は無かっただろう。
人生に「もしも」は禁句だが、そこに焦点を当てるとそういうことになる。
人生の現状とは全てそんな絡みで出来ているという視点だ。
もちろん、異なった視点を持てばまるで異なる結果になる。
つまり、全ては「解釈だけ」だということだ。
5月3.4.5日は「武禅一の行」です。残席はまだあります。