最後はどうする?
改めて道場を見てみると、改修工事の個所が多すぎる。
やりかけの屋根や、先日の風で飛ばされた軒等々。
後何年、何十年生きるのか?それに見合った修理にしておかなければ、死ぬまで修理をしただけになる。
と、工具や工機を置いた裏のプレハブをみながら、ふと思った。
このプレハブは、当時相当高かったと思う。
今では只のボロ小屋になってしまっている。
床の補強を途中までやったが、忙しくて工事どころの騒ぎではなくなってしまって数十年になる。
そんな事を振り返っていると、やり残している事がいかに多いかが分かる。
それだけ、やらなければならない事と出会っているという事だ。
やらなければならないのだが、やっていない。
それはやり方を見つけ出すのが下手なのだと分かる。
一つの事を掘り下げるのは得意だが、広く浅くは苦手なのだろう。
自分自身の発見だ。
しかし、同時に「どうでもええか」とも思っているからだ。
私自身が本当にやらなければならない事は何だ?
もちろん、それは私にしかできない事なのだろう。
ま、そんなことが頭を掠めているようでは、話にならない。
お亡くなりになられた、落語家で先代の林家三平師匠の今わの際の話を聴いた。
「師匠、お名前は分かりますか?」「はい、加山雄三です」だったそうだ。
同じ落語家の笑福亭松鶴師匠は、弟子を枕元に集め最後の話をした。
声にも力が無いので、周りの皆は頭を師匠の方に寄せた。
「ババしたい」で締めたという。
芸人であればこれだろう。
私ならどうする?
それを見つけるのが、今後の課題にしようか。
いやいや、落語家の両師匠は、芸人を全うしただけで、そんなネタを考えたのではない筈だ。
では、直ぐに忘れてしまおう。
5月3,4,5日初夏の「武禅一の行」残席あります