智慧を生む土壌
自分以外の人、つまり、他人だ。私にとっての他人は、私を触発してくれる存在だ。
会話の中で、あるいは、稽古の中で、色々な意味で触発してくれるからだ。
結局これは、私自身の「何をどう?」という好奇心を、くすぐっている事だからではないか?と思う。
武道での探求は、昔日の達人伊藤一刀斎の言葉を手掛かりにした。
これとて他人だ。
残されている言葉の一つで、私自身にシックリくる言葉を選んで「何をどう?」を働かせたのだ。
もちろん、一朝一夕に取っ掛かりが見つかる筈もない。
だが、選んだ一つの言葉がキーワードになり、それこそ何をしている時も、その言葉が頭の中を回らせる。
そうすると、新たなヒントが全く別の事から見つかる事もあるのだ。
このやり方は、現代人の思考回路には不向きかもしれない。
しかし、自分の力で問題を解いていくとすれば、この方法しかないのだ。
そして、ヒントを発見したり実体化という結果までの、全ての過程が全部自分のもの、「自分自身が自分自身の力で獲得したもの」になる。
そうすると、そこに知恵が生まれる土壌が出来ているのだ。