身体は動き出している
「身体が動く」というのは「身体を動かす」事ではない。
文字通り身体が動く事だ。
気持ちが動き出すから身体が動くのだ。
「思いたったら吉日」という言葉がある。
直接このこととは関係ないが、この「思い立ったら」が身体が動いてしまう基本的な要因だ。
そこに被るのが「欲求」だ。
この二つがあると、身体は自動的に動き出す。
逆に言えば、「身体を動かす」というのは、ある意味で傲慢な考え方だ。
確かに腕は動くし足も手も動く。
それは確かだ。
しかし、その動きの何をコントロールしているというのか?
私にはさっぱり分からない。
ドラムを叩くのだが、その「叩き方」がある。
しかし、それは身体の動かし方ということとは、少し外れる。
どう外れるのかというと、道具を使うという、道具の使い方だからだ。
私はそこも逆に考えてみる。
道具に使われる、と考えるのだ。
道具にとって一番楽な、負担のかからない使い方はどれだ?という考え方だ。
その意味でドラムの叩き方は見えてくる。
しかし、それが見えたところで音楽にはならない。
気持ちが動き出さなければ、音楽にはならないからだ。
気持ちが動き高揚し、それがドラムに投影される。
そんな図式だ。
気持ちが動いてくると、必然的に身体が動き出す。
それに連れて気持ちも、大きく動き出す。
そこで弾けた音が飛び出してくるのだ。
こう書いていても、身体は動き出している。
身体の内部、一体どこなのかは分からないが、確かに内部でマグマのように沸々と湧いているのだ。
それを爆発まで抑えておくのがコントロールだ。
4月12日に向かってマグマの道筋は出来ている。
白煙は上がり地熱は完全に噴火状態前夜だ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ