思い付きという穴

「思い付く」という事がある。
それは、自分で何かしら考えているから、あるいは、問題を持っているから起こる状態だ。
その意味ではその状態が起こるのは間違ってはいない。
しかし、社会や仕事、あるいは日常の場合、その前に現状というのがある。

例えば、寿司職人が他の店に転勤したとする。
転勤して、その店の状態を見ていると、従業員同士の関係がうまくいっていない事に気付く。
そこで、「思い付いた事」をこうした方が合理的で良いよ、とアドバイスをしたとする。
これは当たり前だが間違いだ。

まず、自分がその転勤した店で、寿司職人として仕事が出来なければいけない。
それは、それこそその店のやり方を知る事だ。
客との接し方や、出入りの業者、そんなことも含めて知らなければいけない。
そして、先輩の従業員達に、やり方を聞き取ったり、観察することでその店の仕事を覚える事が先決だ。

そういった諸々が沢山あるが、何よりも従業員の人達と仲良くしていく事が先決だ。
何故なら、そのことでその店の事情を知ることが出来るからだ。

それが本文であって、従業員同士の問題解決は、寿司職人の職域ではない。
単に「思い付き」といっても、こういった場違いを起こしたら、転勤して来た意味も価値もなくなる。
「この店をもっと繁盛させたい」という気持ちを店主は持ち、その寿司職人を引き抜いて来たのなら、余計に寿司職人としての職域や、美味しいお寿司を作る事に専念しなければならないのだ。

「繁盛させたい」に反応し、従業員同士の関係に目が行き、そこに口を挟むのはお門違いも良いところだ。

自分自身は寿司職人であってマネージャーでもないだろう、と気付かないのだ。

しかし、そんな事は雑多な世界を知る人には当たり前だが、専門学校を出て専門職での人間関係、社会関係しか知らなければ、こういったことも分からないのだ。
同時に自分の「思い付き」に振り回されてしまって、何一つ肝心のこと、つまり、寿司職人として、という事が飛んでしまっているのだ。

そんな事は、どんな職場にもあるし、厳密に目を向ければ日常の細かいところにもある。
そこを整理出来なければ、それこそ無駄な時間を過ごすと同時に、何か大きな問題を起こしている事もあるのだ。

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4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
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