どうして力むのか?

昨日の神田道場は、熊野から高校の空手部の顧問も来ていた。
東京で空手関係の仕事があったからだ。
海外の総合のリングで活躍する選手も、久しぶりに顔を出してくれた。
選手は試合も近いので、何かヒントをという事で道場に来ていたので、色々と課題を聞いた。
だから、その日の稽古は総合一色になった。

その題材は何であっても、「変化に対応・変化に反応」するという本質が有る限り問題はない。
総合でのセオリーを私は知らない。
だから、私自身の身体の反応のみで対処する。
それが、セオリーを知っている、あるいは習っている人には新鮮なのだろう。

こうして身体を動かすのは、本当に楽しい。
人それぞれに力も違うし、柔軟性も違う。
もちろん、運動能力も感覚も違う。
そういった人達の攻めに対して「決して力まない」を実行し、身体を反応させていく。
そうすると、何時しかこちらのペースになっているのだ。

この技術でなければ、若い人達と組み技は出来ない。
体力が持たないのだ。
90kg近い相手と組み合うと、その圧力だけでバテてしまう。

これこそが、人生を生きる奥義だとつくづく思う。
自分自身を作らないから、その場、その人に合わせた様になるのだ。
「力んではいけない」という言葉一つを灯台にして、自分を見つめなおせば、いくらでも「力んだ時」を思い出せることがある。

自分はどうしてそのことで力むのか?とその事を突っ込んで行けば、ある種の自分自身の核が見えることがある。
そこに「関係」というキーワードで、力んでいる正体を分解すれば、全ては解決する。
それは同時に自分自身が成長した、進化したということでもある。
「術」というものの使い方は、こういうものだ。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ

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