耳を澄ます
「耳を澄ます」という言葉がピッタリの事がある。
身体を感じ取る時の状態だ。
感じ取るのに「耳を澄ます?」と、大方の人は思うだろう。
しかし、それは身体を厳密に感じ取る、という作業をしたことのない人が持つ、単なる固定観念だ。
競輪の西岡君から先日メールが届いた。
「ゆっくり自転車を漕ぐのは良い練習だと思うのだが」というものだ。
「その通り」と返信した。
時速60㎞も出す競輪のスピードに、「ゆっくり?」というのも固定観念だ。
じっくりと身体に耳を澄まし、違和感の溢れる部位を探り出す。
そして、それを緩める為に、全体をどう管理するか。
それをゆっくり動かす中で行うのだ。
もちろん、ゆっくりといっても等速運動でなければいけない。
その中で、胸骨からの連なり、連動を感じ取って行くのだ。
しかし、これはある程度身体を分かる人であり、運動として身体が動く人の場合だ。
分からない人は、当初目的のスピードに挑戦する。
そうすると、力みでガチガチの身体になる。
そこからがスタートだ。
それが無い人には、この練習は余り意味がない。
目的が明確で少しは身体に注意が向いている人には有効だ。
そうか「耳を澄ます」が良い。
いや、その言葉が良い、と気づいたのは、つい先ほどだ。
成る程、私自身のやっている行為の状態から言えばこれだ。
相手の身体を感じ取る、これも「耳を澄ます」だ。
その「耳を澄ます」という行為を知らない人は、本当に耳を澄ましてみよう。
日常的にある騒音でも、じっくり済ませば色々な音が入り混じっているのが分かる筈だ。
その状態が「澄ます」になる。
まずはそこからだ。
全く違う角度から言えば、それが瞑想している状態なのだ。
海外でも日本でも「日野さんは瞑想をしないのですか」という質問を受ける。
私は特別な時間を割いて瞑想はしないという。
それは、常にそういう状態になる事が出来るからだ。
大方の稽古は、そういう状態になるからだ。