生きているという事を

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これを書いてくれた人は、どのコンサートでもライブハウスでも、私の演奏を聴きに足を運んでくれていた。
阿部薫の名前は、この人から初めて聞いた。
もちろん、彼とは面識はなかった。
 
ある時、京大西部講堂でヨーロッパのフリージャズや、日本のフリージャズのミュージシャンが集まったコンサートがあり、私達トリオも出演していた。
出番前、練習台の前で手を慣らしていると、アルトサックスの音が聞こえて来た。
「ええ感じやな、誰や?」と音の鳴る方に行くと、どうでもいい様な服装で童顔の同年代の男が吹いていた。
私は後ろに座って聞いていた。
彼が吹くのを止めるのを待った。
 
私は「俺、ドラムのアキラ、一回一緒に演らへんか?」と切り出した。
男は「いいよ、次は自分たちの出番だから、そこで一緒にやろう」
となった。
 
フリージャズにルールは無い。
曲もなければ、まどろっこしい約束も無い。
あるのは只々感性だけだ。
その感性を信じるだけだ。
だから、こういった無謀な事が可能なのだ。
 
ステージには男の属するメンバー達と、私のトリオが乗った。
客席はざわついていた。
そらそうだ。
プログラムにはないからだ。
 
約束は無いと言ったが、私はこの男のアルトサックスとまず対で演りたかったから、最初はデュオで始まる事だけは決めた。
 
男がいきなり吹いた、いや吠えた!
私は震えた、もちろん、嬉しくてだ。
ドラムも吠えた。
 
客席は2人の創り出す音に緊張に包まれ、静寂そのものになっていった。
男の名前は阿部薫といった。
 
それが私と阿部との出会いだ。
 
演奏後、演奏で意気投合したから、私のトリオでツアーをする約束をして別れた。
 
それから25年。
11年前の「還暦コンサートLa Fiesta134」を演った。
 
そこに足を運んでくれたのが、ブログの主だ。
60年代70年代、それぞれの思いの詰まった時間だった。
 
4月12日大阪心斎橋大丸劇場で「古希の力Real'71」のコンサートをする。
還暦からの10年間は、武道の世界で身体の可能性を証明してきた。
その可能性は、もちろん肉体の、では無い。
身体、つまり、感性も何もかもひっくるめての人の可能性だ。
 
還暦コンサートをサポートしてくれたピアノの田中武久さんもお亡くなりになった。
私の盟友ともいうべき、ベースも亡くなった。
みんな、もうそんな年齢になっていた。
 
しかし私は運よく生きている。
生きているという事はどういうことか。
「俺が『今』生きている」その事をこのコンサートでは証明する。
10年前よりも、柔軟に、そして自在になっている「私」。
「生きているとはこういうことだ!」
 
俺が60年代から求めた音は、生命の鼓動へと帰結した。
私が『今』生きている、71歳古希!

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ

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