同時にあるのを知っているのかな

先日の日曜日に、前々から稽古の中に取り入れていた、「相手の力を感じ取る」を棒を使ってやって見た。
もちろん、それ程簡単ではない。

「力を感じ取る」というのは、実際に相手の力の強さと55分の力を相手に提供する事も入っている。
その事で、それ以上の力を相手から出させない為と、相手の何かしらの意識の変化を察知する為だ。

こういった「感覚」そのものの稽古には、身体操作は必要ではない。
しかし、これを使うということになれば、身体操作が必要になる。
しかも、かなり厳密な身体操作でなければ駄目だ。
だから、感覚そのものはそのまま育む事はできても、相手に使えるようになるのは、別の問題だとも言えるのだ。

それは、例えばダンサーが、身体を動かすのと、舞台で観客に観せるのは別の問題というのと同じだ。
自分自身の個人的な技術と、使える技術は別のものという事だ。
本来は、同時にある事だが、考える上では、別とした方が私としては分かり易いのだ。
もちろん、言葉としては誰でもわかっている事だろうが、では実際にはどう違うの?となれば、あまり的確な答えも、それぞれの方法も聞いた事がない。
みんな適当が良いのだろうと思っている。

本来は同時にある、というのは、言葉は自分を整理する為のものでもあるし、他人との関係の為のものでもある、という同時にあるという事だ。
ここでどちらを優位に置くか、あるいは、同時にあるという事を認識しているのかどうかが、それらの質や精度の差を生むのだ。

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