応用力

応用出来るという能力は、生きる上で必須の能力だ。
でなければ、それこそ、自分がやること、やりたいことに対する膨大な知識や技術や体験が必要になるからだ。
もちろん、人は日常の中で色々な事が応用できているから、自動運動的に無意識的に日常があるのだ。
しかし、何か新しいこと、日常ではないことに遭遇すると、たちまち時間が止まってしまう。
だから、日常での行為を、意識的に引き上げていけば、つまり、自分は何をしているのかを、明確にしていけばよいのだ。
そうすると、応用力はどんどん育っていくのだ。

武道でもワーク・ショップでも聞かれる質問に「これは、どう使えば良いのですか」がある。
それが応用力を育てない典型的な言葉だ。
しかし、よく考えると、この質問ほどおかしい質問はない事に気付く筈だ。
自分は何かをしたい、あるいは、やっている。
だから、何かに興味を持ち、あるいは、ヒントを得ようと、例えば、私の指導する武道であったり、身体操作に興味を持ち、教室やワーク・ショップに来ている筈だからだ。
ここで、その質問が出る元は何かが見える。

自分が何をしているのかを知らないということ、分かっていないということだ。
ざっくりとは分かっている。
例えば、何かしらの武道、何かしらのダンス、医療業務等々だ。
しかし、それは只のレッテルであり、自分が行っている事ではない。

自分が何を行っている事というのは、具体的行為であり、具体的な考え方だ。
それが明確だから、つまり、言語化出来ているから、例えば、胸骨操作を取り込むことが出来、その効果を実感することが出来るという道筋だ。

明後日は、明鏡塾・大阪の1期だ。ここでは、「触れる」「聴く」「伝える」を、感覚を総動員して行えるように様々な角度からワークを行う。
もちろん、ここでもレッテルと実際の間には溝があり、それを埋めるのが自分自身の考え方や言葉そのものなのだ。
つまり「触れる」がレッテルで、具体的な行為ではない。
そのレッテルと具体的な行為、例えば、相手の腕に触れるという行為を繋げるのが「感覚」だ。

もちろん、その「感覚」もレッテルだ。
という具合に、レッテルと実際、言葉と実際とは違う次元のものだと知ること、そして気付くことも稽古の一つだ。
大事なことは、実際に何をしているのか、であり、相手に何が作用したのかだ。
その具体を徹底することが、自分自身を実在化することに他ならないし、患者さんと向かい合える姿勢を作り出して行くことなのだ。

「明鏡塾」

https://www.meikyojuku.com/

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