手応えを求めるな

昨日は新年の「明鏡塾」。
会場をこころよく提供してくれている、内科医の原田先生も打ち上げに参加。
充実した打ち上げになった。

「明鏡塾の人達は、会う度に笑顔が良くなっていますね」と言ってくれた。
もちろん、受講者は無自覚なので分からない。
それが成長なのだ。

分かっていることを手応え充分に、が成長だと大方の人は思っている。
それは単純な自己満足でしかない。
「手応え充分」というところが曲者なのだ。
それは武道とて同じだ。
投げる・突く、そこに手応えを求めて日々鍛錬する。
しかし、実際は例えば、プロ野球の選手が起死回生の逆転ホームランを打った時、「夢中で振ったので覚えていません」、あるいは、プロボクサーがKOした時、「夢中でパンチを出していたので」というコメントがあるように、手応えがない時が一番上手く行っているのだ。
人生も同じで、「意味から発生した動機」つまり、自分として手応えがあるのを求めると、つまずく事が多いのだ。

もちろん、プロ野球にしろボクシングにしろ、手応えがある時もある。
いわゆる力技でということだ。
もちろん、それもその局面では大事なことだ。
しかし、そこが本筋ではない。
あくまでも、知らない間に、というところが本筋だ。
それは「身に付いている」という状態だからであり、そのことが経験値と比例して、どんな局面でも、ということに繋がるからだ。

大阪1期明鏡塾は1月27日からです。
まだ、空きがあります。
https://www.meikyojuku.com/

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