常に自分に都合の良いように
何だか「アッという間に、明日からフランス」だ。
暮に京都から始まったフランスTVの取材予定をながめていて、このことは分かっていたのだが。
日々、集中している事があるから、「分かっていた」はどこかに飛んでしまっていたのだ。
と書けば、忙しいのだろう、とも思えるが、実際はどうなのだろう。
単に忘れていただけなのではないか。
という具合に、人はその都度の都合の良いように、意識を働かせるということではないか。だ。
その意味で、自分の中にも確かなことなど無いということだ。
しかし、人は自分の選択している思考や指向を確かだと思っている。
いや、思いたいのかもしれない。
それは、自分が生きている事自体を浮き草のようなものだと思いたくないのか、思わないように洗脳されているのか、そのどちらかだ。
「自分の人生」ということを考える時、人は社会的成功や目的達成というような、観念から考える。
私は「死」ということから考える。
ベッドの上、畳の上、あるいは、路上、あるいはダンボールハウス?どこでどうなっていても「死」は死だ。
という具合に考える。
だから、自由に、より自分を貫いて生きてやろうと思えるのだ。
明日からのマルセイユは寒い。
もしかしたら、北に位置するパリよりも寒いかも知れない。
それは風のせいだ。
港から容赦なく吹き付ける風があるからだ。
そういう理由で、昨年は春にマルセイユだった。
しかし、今年は春にはリヨンなど数多くの都市を回る。
だから、この時期しかマルセイユには行けないのだ。
今回はマルセイユ・ブレスト・アリビー・パリと回る。
秋のヨーロッパツアーを断っているので、そのしわ寄せがどこかに行く。