子供は親の自由にはならない
毎年恒例の、フランスから日本ツアーが来日した。
今回は、子供が3人いるということで、熊野道場への道中管理が難しく、京都での稽古となった。
平安神宮の横にある旧武徳殿での稽古だ。
ここは、恥ずかしいことに一度も来たことがない。
ほんとにこういったこと、つまり、日本の文化を探したり研究するのは、外国の人が長けているのに驚く。
立派な佇まいに思わずうなった。
中は板張りで何十畳あるだろうか、という広さ。
梁や桁が相当ごついものを使っているので、高さも10メートルはあるのではないか?(もちろん、これは調べれば分かる)
とにかく「武道」となると、この道場だろう、という感じである。
子供たちも交え、一杯汗をかいた。
前にも少し書いたが、外国の子供たち、外国で出会う子供たちを見ていると、ほんとに「子供らしい子供」だと何時も感じる。
何が?というと、常に両親が子供の行動を注意をするが、その時だけ、それこそ「ハイ」というだけで、一切いう事をきかないのだ。
「子供は言う事をきかない」ということを親は完璧に理解しているのだ。
しかし、叱り飛ばすことがある。
それは、汚い言葉と暴力だ。
この二つに関しては徹底的に叱る。
私の生徒でパリ警察で人警護の仕事をしている男性がいる。
彼の子供もほんとに可愛い。
お母さんはスチュアーデスだ。
そのお母さんも、他のお母さん同様に、小さな子供の言動に神経を尖らせている。
4歳くらいの男の子がお父さんを叩いたり、おもちゃのピストルで人を打つ真似をしただけで、本気で叱っていた。
元、フォーサイスカンパニーのダンサーで、一番私の理論を理解してくれているマーツの子供も女の子だが相当やんちゃだ。
駄々をこねる時は半端ではない。
道路であろうが、レストランであろうが、転げまわって泣き叫ぶ。
決して日本の大方の子供のように、親に従順ではないのだ。
当然、子供はそんなものだと、周りの大人も分かっているから、日本のように神経質ではない。
マーツは叱るが「子供だから仕方が無い」と分かっている。
子供は親の自由になる、なんてことは一つも思っていないのだ。
だから、それぞれの子供の持つ「好奇心」が損なわれることなく成長していけるのだ。