限りがあるんやで
道場に来る人やワークショップに来る人と話をすると、面白い事に気付く。
それは、大方の人は何かを習っている時、その先生の話を鵜呑みにしている事だ。
私からすれば「どうして鵜呑みに?」なのだが、どうもそれはないようだ。
もちろん、人それぞれだから自由だが、それぞれになっていない。
大方の人が鵜呑みだからだ。
先生の話し、例えば、それを私の話だとした時、私は「私の話を聞くな」とか「私の話を信じるな」という。
それはこの「鵜呑みにするな?」であり、「自分の力で根拠を探せ」だ。
もっといえば、話を理解出来るレベルになれ、であり、質問できるくらい中身を作れ、なのだ。
まぁ、私の事ではないので、私の自由にはならない。
そんなこんなを75年生きて来た。
そろそろ76歳になろうとしている。
それは何を意味しているのかと言うと、後それほど長くは生きない、という事だ。
先達の元気な先生方はおられるが、それこそ人それぞれに違うのだ。
うだうだ言っている間に居なくなるで。