理解して行動にの穴は

先日の稽古に10年くらい前まで受講していたダンサーが、久しぶりに顔を見せてくれた。

「身体塾」では、さほど目立たなかったのだが、「武道基礎塾」まで受講していて、そこで初めてする片手片手持ちや胸掴みという、体重移動の基礎練を難なく熟していたので驚いた。
しかも形はダンサーだけあって、手本通りにやっている。

数年経っても出来ない人、一発で出来る人。
もちろん、身体運動に関して全く経験の無い人は別にして、部活程度に身体を動かしていればある意味でそれほど難しい事ではないということでもある。

そういった対比をするのは面白い。
単純に「出来ない」なのだが、その出来ないという現象を支える思考や感覚、あるいは自意識といった、人の内面を探求出来るからだ。

何時も書いているように、自分の持つ「言葉」であり「思考」、そしてそれを下支えする自意識のようなもの。
これらを想像出来るからだ。
もちろん、想像だからそれが正しい答えではない。
しかし、当たらずとも遠からずで、そんな事を元にしてアドバイスを考える。

がしかし、人は余程の事が無い限り「他人のいう事をきかない」という前提がある。
「聞かない」というのは、「言っている事を理解するが行動に移さない」ということだ。

これは「移さない」ではなく、きっと「移せない」のだろうと思う。
それは、アドバイスをすでに理解して納得してしまっているからだ。
身体で、あるいは、動きとして納得するのではなく、言葉として納得してしまっているからだ。

つまり、自分の行動を止めているのは、間違いなく「自分自身」だということだ。

それは自分の事を振り返ってみればよく分かる筈だ。
私はどちらかと言うと他人の話を聞く方だ。

それは自分にとって違う角度からの話、つまり、他人は私では無いから全く違う人生を歩んでおり、そこからの話だから私にとって新鮮だからだ。

私は私に飽き飽きする事も多々ある。
最近特にある。
「また、これか?・まだ?」と自分を嘆く。
その意味でも他人の話というのは新鮮なのだ。

もちろん、そこにはレベルがあり、その事に関する見解が私よりも深かったり高かったりした場合だけだが。

107回「武禅一の行」は、10月7,8,9日です。

Follow me!