色褪せない本物を体感した小学中学時代
中学生の頃、初めてラジオから流れるビートルズを聴いた。
この衝撃は、凄かった。
それを思い出せば、この頃、映画ウエストサイドストーリーも封切られた。
私は何に魅せられたのか12,3回は観に行った。
教室ではジョージ・チャキリスやリチャード・ベイマーの話で持ちきりだった。
ナタリー・ウッドの美しさの話も尽きなかった。
音楽も映像も、何もかもが新鮮だった。
もちろん、映像も音楽も今でも色褪せないのが凄い。
また、音楽を作ったレーナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)が、世界屈指の指揮者でありピアニストだという事も知らなかった頃だ。
それを思い出すと、私が音楽や舞台を考える基盤になっているのは、もしかしたらこのウエストサイドストーリーかもしれないとも思う。
この映画の様々なシーンで使われた音楽に、ジャズをやり出してから出会う事になる。
昭和天皇もお泊りになった能登の加賀屋ホテルの専属で仕事をしていた当時だ。
1971年位だったかな?
そこのホールでは、毎夜世界のエンターティナーのショーが開かれており、その演奏をしていた時に出会ったのだ。
ハリウッドで活躍するご夫婦のタップダンサーのショーが、全てウエストサイドストーリーで構成されていたのだ。
リハーサルの時、譜面を渡されて驚いた。
何と、天才ジャズドラマーのバティ・リッチ楽団の譜面だったからだ。
「何これ!難しい!」
思わずメンバー全員が叫んだ程だ。
しかし、その「難しい!」という叫びは嬉しい叫びだ。
同時に中学の時に見た映画が蘇った。
どう料理できるか、私達クインテットの実力を問われているからだ。
譜面はフルバンドのものなので、それを5人で熟すのだからそれも難しい。
アルトサックスとテナーサックスの2管しかないからだ。
それぞれがトランペットパートやトロンボーンパートを掛け持ちするのだ。
だから、2管の譜面台は譜面がギッチリ並んでいた。
私の小学生中学生時代は、色褪せないもののオンパレードだったのかと思う。
もちろん、世界は対戦が終わって、これからやり直そうという時代だったから、世界中が創造性に満ち溢れていたからだ。
エルビス・プレスリーに始まり、レイ・チャールズやポール・アンカ達。
ジャニスや美空ひばり。
何もかもに驚いた。
ほんとに良い時代に生きたと思う。
ここで巡り合ったショックは、結局のところ現在の私を作り出しているからだ。
もちろん、その根底にあるのは、母の三味線や踊りだ。
その意味では、既にそこに私のテーマがあったという事になる。
母の三味線が無ければ、西洋音楽と対比させるという考え方は産まれ無かっただろうからだろうし、武道の道に入って芸能の深さから武芸の深さを計る事に目が向いていなかった筈だ。
そして、何よりもほんものの音と、商業的な音や自己満足の音を聴き分ける耳は育っていなかっただろう。
そこから考えても、小さい頃に「ほんもの」を理解するのではなく体感する事、体感しておくことが大事だと思う。
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