言葉に匹敵する「技」は、技能と捉えるから進化する
私自身が好きで探求している事、その経過の中で出来た事に興味は無い。
そこが終着駅ではないからだ。
ただ、「そうか、出来るやん」で忘れてしまう。
その意味で、武道の稽古の中で出来て行ってる事に興味はないという事だ。
つまり、達成感も喜びも、いわゆる自己評価も自己肯定感も無い。
そもそも、そんなものを持ち合わせていないからだ。
昨今の巷に溢れる「言葉」に、何の興味も持てないのだ。
それは単に何かを誰かが解釈しただけの「言葉」だからだ。
そういった言葉よりも、例えば「柳に雪折れなし」と小野道風が語ったそうだが、そちらの方に興味を持つ。
それは本質を言い表した言葉だからだ。
だから、そこから色々と考える事が出来る。
そういった言葉は、私にとっては新鮮なのだ。
どうして新鮮なのかというと、私にとってはその切り口を持っていなかった、つまり、その例えの言葉を持っていなかったからだ。
そういった言葉に出会うとワクワクする。
私自身の何かが動くからだ。
武道の稽古の中で発見、あるいは、気付いて出来て行く技の中に、こういった言葉に匹敵する「これ」というものを見出す事もある。
それらは本質なので、その技を基本稽古として定着させる。
それは受講生の上達の為に、あるいは、私自身の考え方を知って貰う為のものだからだ。
その意味で、日野武道研究所の稽古は進化し続けているという事だ。
それは、私自身が止まっていない、停滞していないからだ。
それは、間違いなく生きているからだ。
もちろん、それまでに止まるかもしれないし、それ以上行くかもしれない。
今やそれはどうだって良いと思っている。
ただ、前に歩いて行くだけだからだ。
東京ワークショップは6月2,3,4日です。
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