伝統武道を考え直す。日本書紀や古事記からになってしまった。

日本の伝統武道の達人を探求する、として伊藤一刀斎や柳生石舟斎他を分析し仮説を立てて来たが、腑に落ちない事が残っていた。

それは、現代の達人と呼ばれた故養神館合気道宗家塩田剛三師が残した、「向かってくる敵と友達になる」という言葉だ。
もちろん、イメージとして分かるし、私自身その経験もある。

もちろん、戦争ではないので生命のやり取りという敵ではない。
巷のその筋の人達との事だ。

今まで私の著作の中で紹介していたエピソードだ。
という状態になり、そこで私はまさしく「反応」としか言いようがない、というのは、目が合ってからその筋の人に近寄るまでの5mくらいの距離を歩いた記憶が定かではないからだ。
確かに、その筋の人達と友達になり、機嫌よく分かれた。
弟子の一人からは「お知り合いだったのですか」とも言われ大爆笑した。

もちろん、それは「反応」だから解析出来ない。
しかし、その反応が起こる為には、色々な蓄積や考え方、もっと突っ込めば遺伝的な何か?と考えて、頭の片隅にこの問題を置いていた。

最近、この問題が解けた。
それは一冊の本からだ。

それによると、日本の武道は日本書紀や古事記から始まるとしていた。
これは迂闊だった。

人は木の上で生活していた頃から地上に下りて生活するようになった。
という辺りは考えたが、そこには「道」になるもの、指針になるものは無い。
どちらかと言うと本能そのままだっただろう。

と思って、その辺りは飛ばしていたのだ。で、戦国時代やその前後から読み物や伝書として残っているものから研究を始めたのだ。

日本書紀や古事記からとは、、、、もちろん、武道の技の話ではない。
そこにある精神の事だ。
もう少し熟したら、まとめてみようと思っている。

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