挨拶も出来ない人が来るのは
先日、気付いた事がある。
くだらない事だが、「どうして、道場には挨拶も知らない人が見学や体験に来るのか?」だ。
この原因は、「道場とは何か」を知らないからではないか、という事だ。
だから、道場とコミュニティーセンターや、オープンのワークショップ、オープンのジムと混同しているのかもしれないと思った。
とはいえ、挨拶もしない中年の人は、一体どんな人生を、どんな社会を歩いて来たのかは、私には想像できない。
少なくとも仕事をして来ただろうから、そこでどんな関係や成果を出して来たのだろう。
もちろん、関係も成果も出せない人はいるが、それなりに社会を渡って来ている筈だ。
私の中学生時代に、軽度の知的障害を持つ友人がいた。
その彼は、何時も笑顔を絶やさず、返事も良かった。
それが功を奏して、有名な寿司店の店長になり独立して寿司屋を持った。
社会や人間関係で必要最小限度の事が出来たからだ。
私から言わせれば、挨拶も出来ない人は、社会生活失格者だ。
道場は、自分自身を見詰め気付き、一歩一歩自分自身を錬磨する場だ。
但し、それを行うには組む他人が必要なのだ。
武道は全て関係で成り立っているからだ。
その関係の入り口は、当たり前だが挨拶から始まる。
当然、相応しい身なりもいる。
それは、自分自身の自覚の為だ。
挨拶も出来ない人に、道着はすすめない。
基本的に、何をしに、何を求めて道場に来ているのかが分からないからだ。