こころが動いた
石原慎太郎さんがお亡くなりになられた。
ご冥福をお祈りいたします。
石原さんの言葉に「死というのは人間にとって最後の未知で最後の未来だから、私にとっても非常に興味を惹かれる対象なのです。」がある。
さすが文学者の感性だと思った。
残念ながら、私の感性ではこうはならない。
その言葉が石原さんの「生きる」を支えていたのだと思う。
そう考えると、何時も書いているように「言葉が自分を引っ張っている」なのだ。
「最後の未知・最後の未来」何とも開けた言葉だ。
「最後の」と言わしめる「生き方」を生きておられたのだろう。
もちろん、それはどうでなければならない、という事ではなく、全てをひっくるめてその言葉を引き出されたのだろう。
「あくまでも、そのときそのときの自分の人生を謳歌するという考え方があるだけ」という言葉がそれを物語っている。
この言葉を読み、私自身何かしらのこころの動きを感じる。
それは何かは分からないし、分かる必要もない。
確かに「こころが動いた」それだけだ。
それがどう現れるのか、それは私の事でありながら知った事ではないからだ。
「こころが動いた」それだけで良いからだ。
多分、私はこの「最後の未知・最後の未来」という道を探るだろうが、私のものにしようとはしないだろう。
私はわたしだからだ。