自分は「これが好き」を疑え
道場では、余程の事が無い限り、初心者も熟練者も同じ稽古をする。
もちろん、内容的にはレベル差を作るが、ざっくりと同じだ。
しかし、実際には初心者であっても、私の道場に来るのが初めてなだけで、人それぞれに背景を持っている。
だから、初心者といっても横並びではない。
定番の体重移動は、全員が取り組む。
それを見ていると、熟練者だから出来ているとは限らない事がよくわかる。
初心者の人が少ない時は、それが目立たなかったが、初心者の人が増え、その中にいきなり出来る人が出て来た時に目に止まるのだ。
いきなり出来る人がいる場合、スポーツ経験の有無や武道経験を聞いてみる。
そうすると、真偽のほどは別にして、出来る大方の人は、そういった経験を持たない人が多い。
だから素直に取り組めるのか、と思ったりもする。
では、熟練者で出来ない人はどうして出来ないのか?
そんな事を考える事が、人の成長限界は何が作っているのか?
あるいは、自分が好きで取り組んでいる事でも、向き不向きがやはり左右するのか。
つまり、自分でボタンの掛け違いをしている事に気付かず、キャリアだけ増えている場合もある事が見えるのだ。
このボタンの掛け違いは、こころしなければ自分では見えて来ない。
それは、自分が「好きだからやっている」という幻想に捕まっているからだ。
自分自身の現実を客観的に見えていないのだ。