抽象化する力が必要
今の自分はどこからあるのか?
例えば、武道での「相手を感じ取る」は、何時その考え方が生まれたのか?と聞かれる事がある。
特に海外では、その類の質問をよく受ける。
海外では通訳も通すので適当に答える事が多い。
日本での質問の時は、本気で思い出す。
しかし、記憶というものは、その度に変化する。
つまり、過去は一定ではなく、思い出すその時の気分や、「どう在りたいのか」の希望でも変化するからだ。
だから、客観的な意味での記憶は存在しないといっても過言ではない。
でも、客観的な事象を思い出し、出来る限り忠実に思い出すようには心掛けている。
しかし、自分自身の形成されて来た道筋は、余りにも多様で「これ」というモノはない。
多様な体験が自動的に生み出した、としか言いようが無いのではないかと思う。
そこで例え思い出されたとしても、その思いでから引き出された何かは、私の体験から引き出されたものだから、直接的には誰かにとっては余り意味はない。
そこを抽象化する力があれば、ある種共有できるが抽象化する力がなければ無意味なのだ。