小さなエンジンでも
2022年だ。
「それが?」と思う年齢になった?
いや、生きてきた道程が生み出した?
それとも天邪鬼だから?
それらの総合だろうと思う。
とにかく新年だ。
という区切りという考え方があっても良い。
寝て起きては、何一つ変わらないが、気持ちが切り替わる、切り替えるのは大事な事だからだ。
子供の頃は、気持ちの切り替えで「今年こそは‼」と、何かに奮起したものだ。
しかし、この奮起は「三日坊主」で常に途切れていた。
それこそ、イベント化してしまっていたのだろう。
それが子供という事であり、若いという事だろう。
もちろん、「今年こそは」をイベント化させずに、そこを契機に何かに突き進んだ人もいるだろう。
私は、そんな人達を羨ましく思ったし、今でも羨ましく思う。
私には、この「今年こそは」は合っていないのだ。
それよりも、今やっている事に取り組む方が性に合っている。
取り組んでいる事に対して、エンジンの出力を上げる感じが好きだ。
出力が足りなくて登れない坂道を、登り切るのが好きだ。
出力不足の小さなエンジンでも、その最大出力を出し切れば、きっと登れるという「やる気」が好きだ。
それが私の美意識でもある。
自分の器を一杯一杯使い切る。
そしてガソリンが切れた時、それで終わるしかないという人生。
私には、その生き方が性に合っている。
その意味で、後どれくらいガソリンが残っているのかは知らないし、分からないがアクセルを吹かしまくって目の前の坂を登り切ってやる。