自分なりの怖いところは

またまた書くが「見よう見真似」とは、見て写し取る事であって、見たものを「自分なり」に解釈する事ではない。

自分なりに解釈するのであれば、何も改めて見る必要も無いだろう。
自分で考えれば良いだけだからだ。

今回のワークショップでその話をすると、帰り間際に「自分なりに解釈するものだと思っていて、確かに目から鱗でした」とおっしゃったご婦人がいた。

写し取り、それが身に付いて応用出来てから「自分なりに」が順序だ。
しかし、ここにも一つ溝がある。
応用がで来てからの「自分なり」なのだが、その自分なりは過去の延長としてのものか、あるいは、新しい発見があってからのものかだ。

当然、新しい発見があってからの自分なりでなければ意味は無い。
過去の自分の解釈に引き戻してしまっては、新しい発見も自分の未熟な考え方を成長させる起爆剤にはならないのだ。
「自分なり」の怖いところだ。

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