言葉は伝える為のもの
「一体何を話しているんや?誰か通訳して!」
こんな事をワークショップでは時々言う。
ほんと、人は真面目に他人の話を聞かないのだろうと思う。
真面目に聞いていないから、その話のズレに気付かないのだ。
通訳してくれる人は、見事にかいつまんで話してくれる。
そんな時「どうしてこういう風に話してくれないのか?」と突っこむ。
前に書いたように思うが、乱暴な言い方をすると、言葉は他人の為にあるものだ。
伝える為にこそ必要なものだ。
いくら賢そうに話が出来ても、「一体、それは何の話?」となってしまっていては、伝える為の言葉が、自分を賢そうにみせる為だけの道具になっているのは悲しい。
政治家や、今回のコロナで会見を開いている専門家の人達。
中には、理解できる話をする人もいるが、大方は何を話しているのか分からない。
よくそれで人に関わる仕事をしているものだと、何時も思う。
「こいつら家では馬鹿にされているやろな」と。