普遍的な伝統は

天王寺から空港バスで伊丹に着いた。
忘れ物が無いかシート回りを確認していた時、お婆さんがお孫さんを連れて横を通り過ぎた。
おばあさんが運転手に「ありがとうございました」とお礼を言うと、まだ3歳くらいの小さな女の子が、運転手に向かって大きな声で「ありがとう、ございました」とお婆さんの真似をした。
思わず微笑みが零れた。

これが躾であり社会教育だ。
言われてするものでもなく、知識で知る事でもない。
親から子、大人から子供への決して途切れてはならない申し送りだ。
もちろん、時代が変わろうがだ。

こんな当たり前の光景は、私の子供の頃には日常にあった。
誰にでも、自分以外の誰かにかける一寸した一声だ。

この一声は、島国に生きる私達の祖先が、周りとトラブルを起こさずに過ごす為の智慧として育んだものだ。
動物はそれぞれに縄張りを持つ。
それを犯すとそれこそ生死を賭けた争いになる。

もちろん、人間も動物だ。
だから、無意識的な縄張りを持つ。
人は動物と違い数が多い。
つまり、既に縄張りを犯し合っているのだ。
当然、ギクシャクする。
そこに緩衝剤としての一声があるから、お互いにギスギスしなくて済んだのだ。
と私はふと思った。

親から子へ、大人から子供へ。
これこそが、伝統だ。

 

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