言葉は通じるのか?
例えば、道場で「上半身と膝の動きを同期させる」を稽古する。
その時、時間と共に出来る人と出来ない人に分かれる。
そういった、出来る出来ないに分かれる事が理解できない。
もちろん、武道に特化した高度な身体操作は別だ。
「この程度なら」つまり、意識的な身体操作をやった事が無い人(ダンスや舞といった習い事をしていない人)、子供の頃身体を駆使した遊びをして来なかった人でも、一寸工夫をすれば出来る程度の事だ。
日野武道研究所では、「この程度なら」を知り、それが高度な身体操作の原理になっている、逆にいうと、高度な身体操作の原理を稽古し、そこから武道に特化した動きへと繋げているのだ。
その意味で、一応誰でも取り組めるような仕組みにしてある。
出来ない人は、自分の癖でしか身体操作を「やらない人」だ。
つまり、こちらの指示、あるいは、原理として指定された動きをやるのではなく、目で見た印象をなんとなくやるだけだ。
当然、出来ない。
もちろん、その事は指摘する。「違うよ」と。
そうすると「いや、やっています」と返って来る。
何度か繰り返すと気付く人もいるからまだ救われる。
でも、延々と「やっています」と返す人もいる。
私にすれば、そこまでくればどうでも良い。
「そうですね、やってますね」だ。
同じ日本語でも通じない人も沢山いるということだ。