やっている事を好きになっていく4

「出来た」は、そうは簡単には手に入らないが、手に入る考え方というか気持ちの持ちようはある。
それは、手に入れたいものの、低いレベルの完成を持つ事だ。
その事は、身に付けて行く事の順序を想像できる、あるいは知る事だ。

今、ここでの話は「身体を通して」という目的の話であって、机上で解決出来ていく為の話ではない。
だから、身体を通してというのは、自分自身の行為そのものの事だ。

私はラッキーな事に、中学生時代に器械体操に出会った。
出会ったといっても、器械体操そのものを好きになったのではない。
ただ単に「かっこ良い」と思っただけだ。
だから単純に「出来る」を目指しただけだ。
当然、その「出来る」もレベルの高い事ではなく、つまり、試合に出て優勝するとかということではなく、単に鉄棒で大車輪をしたかっただけだ。

かっこ良いと思ったからだ。
私は、この動機が最上の動機だと確信している。
誰しも、かっこ良い事には、どんな努力も厭わないのではないかと思うからだ。
だから「~の為」ではない。

~の為ではないから、努力限界が無いしそんなものは存在しないのだ。
しかし、その「カッコ良い」という価値観というか、思い込みというか、そういったものは何時頃形成されるのだろう。
あるいは、形成されない人もいるのだろうか。

そう言えば、パリでのワークショップの時、余りにも姿勢が悪い人が多いので、「皆、エレガントは嫌なのか?」と問うた事がある。
その時、7.80名いた受講生全員がニヤッとしたが、シャイなのでアピール出来ないという事を知った。
でも、「エレガントに」と号令をかけると、一応姿勢を正すようになった。
つまり、カッコ良いのは好きなのだが、風潮や性格が邪魔をして声高には叫ばないだけなのだ。

 

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