やっている事を好きになっていく3

「やる気」が起こっても取り付く島が無いのが実際の技術だ。
今では、ドラムスクールや教則本が完備され、youtubeには教則ビデオも掃いて捨てる程ある。
しかも、海外のドラマーのものまである。

当時は、とにかく先輩のアドバイスと、実際のプレーから盗み取る以外には学ぶ術は無かった。
バークレーの教則本も輸入されていない時期だ。

といっても、パラディドルのような技術以前に、まずリズムの形を覚、そのリズムをキープ出来なければ即仕事にはならないからだめだ。
先ずはマンボ、チャチャ、サンバといったラテンリズムそしてワルツが、その入り口だった。
4ビートは、まずスイングしない。

当たり前だが、左足のハイハットでのリズムキープや、ビートやアクセントの右足なども、思うように動く筈もない。
それら一式出来なければ、ドラマーの入り口にも立てないのだ。

そういった色々なリズムをどうクリアしたのかは忘れてしまったが、目の前の先輩が叩くのを見よう見真似だったのは確かだ。
「あきら君、次の曲を一度叩いてごらん」とある時、バンドマスターが言ってくれた。
嬉しい反面、「壊したらどうしよう」と不安もあった。
先輩が「気にせんと叩いてごらん」と、席を変わってくれた。
そういった出来事が、徐々にステージに慣れ、曲に慣れという時間になり、半年もすると一応様になるようにはなった。
その頃になると、手も動くようになり足も独立させて動かせるようになっていた。
一番低いレベルでの「出来た」だ。

もちろん、この間に、ほんとに色々な出来事があった。その小さな出来事から、大きな出来事の一つ一つが「出来た」という実感を与えてくれた。
その事が、エンジンをフル回転させ、練習時間も7.8時間では足らなくなって行くという道の扉を明けてくれたのだ。

多分「好きになる」入り口だろうと思う。

結局小さな「出来た」から大きな「出来た」があったから、好きになったのだろうと思う。
それらの様々な「出来た」は、「出来ない」を「どこから・どう」を考えそこに取り組みながら、的確な「どこから・どう」を見つけ出す。
そして「出来た」に辿り着く、その繰り返しでしかない。

そうは簡単に「出来た」は手に入らないのだ。

 

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