奇跡の道場と
「日野さんは教え方が、お上手ですね」と、昔武神館初見宗家から言われた事がある。
それより昔、お付き合いさせて頂いていた合気道熊野塾の故砥島先生に「日野さんの道場は奇跡の道場やわ」と言われた事もある。
それは、大方の人が気付いていない力の出し方や、組技における原理の一つを、徹底追及し言語化し手が届く一歩手前まで持っていたからだ。
しかし、いくらこちらが言語化出来ても、それを受け取る側の問題も同時にある。
大方の場合、受け取る側を問題にしない。
教え方が下手、説明がまずい等々、色々な意見が出る。
では、自分はそれを理解できるレベルなのか?と、一度でも問うた事があるのか?だ。
全部、おんぶに抱っこなのだ(これは死語だろうと思う)。
数日前、競輪の選手の事を書いた。
彼は、私の言葉を聞き、それを実体化する為に、1日8時間練習したった7年で、私の言う自転車に適した身体を手に入れた。
そこには、彼の理解しようという工夫、実体化しようという工夫が山ほどある。
そうなった時に、初めて「胸骨と膝やで」という言葉が理解でき、実体化されているのだ。
私は常に5分5分だと思っている。
こちらの提供できる範囲は5分だ。
それを受け取る人が5分。
だから、教えるのが上手だと言われたのだ。
その意味で、そこが理解できない人にとっては、良い道場ではない。