言葉の誕生に気付きたい

「分からない」から「出来ない」のか、「出来ない」から「分からないのか」。
「分かったら出来るのか?」「出来たら分かるのか」これらは全部言葉遊びだ。
つまり、「分かる」という言葉が作り出している幻想ゲームだ。

「分かる」とくれば「何が」となる。
何かしらの答えがくると「で?」と続く。
そんな無駄な時間を使ってどうするのだろう?

もちろん、人工的なもの、つまり、人が編み出したり作り出したものは「分かる」という言葉が通用する。
例えば、1+12が分からない、であれば+の概念を知れば良い。
そうすると1+1が分かり2が分かるようなものだ。

それを、森羅万象にも使うから話がややこしくなるのだ。
武道の技もしかりだ。
いくら言葉を並べても、身体行為にくっつくことはない。
しかし、多くの人はそこを求める。
余程幻想ゲームが好きなのだろう。

私も沢山言葉を使う。
それは、言葉と実際の接点を求めているからだ。
もちろん、実際と言葉は違うのは重々承知だ。
だからといって、そこを投げ出してしまうのは、言葉を発明した祖先に申し訳ないと思うからだし、言葉が発明されたその動機に気付きたいからだ。

東京ワークショップ6月4.5.6日
開始まで後3週間を切った!

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