人は皆依存症
一昨日は、「明鏡塾」11期の最後の講座だった。
宿題の発表を聞いていると、それぞれ受講生の問題点が絞り込まれている事が時間の経過を物語っている。
つまり、自分と向き合えているということだ。
だから、当然のこととして成長するし、同時に技術も向上している事をうかがわせるのだ。
その意味で、講座そのものが自然に厳しいものになる。
だからこそ頻繁に笑顔が零れる。
懇親会は、今後の医療の在り方等の話題が主流だった。
もちろん、「明鏡塾」の講座そのものの話にもなるし、それぞれの職場から医療全般の話にもなる。
(明鏡塾 https://www.meikyojuku.com/)
昨日は、原田医師と夜遅くまで語り合った。
その中で、西洋の神の話から、どこに生きるモチベーションを置くのか、あるいは有るのかになった。
自分自身の中をほじくり返しながら考えた。
もちろん、答えなど無い。
帰宅し、その余韻の中で気付いたのは「依存症」という病気だ。
社会では「病気」ということにしているが、それは病気ではなく、全ての人は依存するという傾向を持っているのではないかという事だ。
極端な例が薬物であったりアルコールだったりするが、どこかに属する事で安心するという傾向だ。
もちろんそれは、人類は群れで暮らすという習性から来ている。
だから、依存症というのは現代医学からみた単なる視点であり、根本的には病気ではないのだ。
ある人は会社、ある人は家族、有る人は何かのサークルという具合に属する事でこころのバランスを取っているのだ。
また、それが食べ物の場合もあるだろう。
と考えると、薬物やアルコールの依存症から脱出できた人は、きっと他に依存できる何かを見つけられたからだ。
もちろん、現代医学もそれくらいは見つけているだろう。
人は死ぬまでどこかに属するのだ。