武道の身体

武道の稽古は、身体が動くという事を知る。
しかし、この身体が動くというのは、それほど浅くはない。

ここの鍵は、日常生活は無意識的な、つまり、改めて動きを考えたり指示を出したりするのではなく、自分としては知らない間に動いてる。
武道でも、よく「無意識的に動きがでるまで稽古を重ねる」という。
それは、新しい生活習慣を付ける、という意味で大事だからだ。
つまり、日常生活はその人その人の生活習慣の結果だ。
それが「身体が動く」ということになる。

しかし、武道の動きとしての「身体が動く」は、これと同じではない。
つまり、動きを遮られる、という特殊な条件がそこにあるからだ。
だから、日常の「身体が動く」とは一線を画すのだ。
しかも、武道の全ての動きからは「力」が出なければならないという条件が付く。
となると、日常生活を送っている動きではなく、新たなシステムが必要になるのだ。

それが、「日野武道研究所」が言うところの、胸骨操作であり、縦系の連動、ねじれの戻り等々だ。
そういった中での身体の稽古は、意識というもの意識場という、目に見えない代物を具現化する。

具現化された時、分かりやすく言えば、指先で相手に触れれば、相手が転げる、という現象が起こるとする。
その時に発揮されているのが、攻め手と受け手の意識場だ。
それがどうして起こるのかと言うと、お互いに投げる投げられない、やる、やられない、という具合に、同質の価値を共有しているからだ。
同質の価値を共有し、尚且つその現象に集中されているから、いわゆる物理では解明出来ない現象が起こるのだ。
だから、不思議ではない、ということだ。

意識というものを身体操作に絡めて探求すると、その辺りが見えてくる。
そうすると、何を稽古しなければ、どう稽古しなければいけないかがやっと見えるのだ。

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