いわゆる変人だ

日曜日の東京の身体塾は、マニアックこの上ない内容になった。
武道の稽古もその延長で、高度なものだった。

「だった」というのは、稽古の時間の中で閃いた事をやるからだ。
閃くといっても、それは基礎稽古、原理稽古からの応用だ。
その意味では、全く新しい発見という閃きではない。

やっている中で、黒帯達は見よう見真似で出来ていく。
一瞬でも、その雰囲気を感じ取れば、いくらでもそれを稽古出来るし、その事で身に付いていくものだ。

例えば「龍法」という原理的な動きがある。
それは、相手との接点、道具との接点を1点にしない、固定しない事だ。
車の車輪のように動かしていく方法だ。
それを身体全体で作り出せるように稽古をする。

身体全体が知覚するように、例えば手の平で、あるいは腕で、足でと体感部位を増やしていくのが稽古だ。
その稽古をしていると、力みがあると絶対に出来ないという事が分かる。
力みを無くすと感覚だけに集中できる。

感覚だけに、というのは、触れている部位での知覚で、車輪のように澱みなく触れているかどうかを感知していく事だ。
この「感覚」という人に備わる能力は、無限に開発できるのではないかと思う。

同時に、この能力は、頭の中の世界というか「意識」そのものと、「具体」を繋いでくれる鍵なのではないかと思う。
また、それは自分の持つ先入観や固定観念を壊してくれて余りあるものでもある。
つまり、自分が知っている、あるいは見ている世界は、自分の先入観や固定観念が作り出しているものであって、実際は全く別物だ、というような感覚を持たせてくれる。
こうなってくると、大多数とはかけ離れて来るので、相当面白い。
いわゆる変人だ。

武禅一の行 5月1.2.3日残り1席です!
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