潔さは、何時育つのか

「嫌な仕事」とか「職場で嫌な奴」という話を聞くと不思議に思う。
嫌じゃない仕事、嫌いではない奴などいるのか?という思いもあるからだ。

それら「嫌な」というのは、単に自分と馬が合わないとか、苦手とかだろう。
あるいは、もっと自分を正当化する理屈は出て来るかもしれない。

何故、社会や職場で「嫌な」が出るのかだ。
そこには「自分は仕事をする人」という自覚が無いからだ。
自分の一日の時間の割り振りを見れば分かる筈だ。
目を覚ましている時間の大半は、仕事なり学校という生活だ。
つまり、自分は「仕事をしている」「学校に行っている」という自覚が全く無いからだ。

就職をして現在の仕事をしている。
それは、余程の事でないと、いわゆる就活の結果だ。
嫌々であろうが、他に良い仕事が無かったから等々、様々な理由があるだろうが、「選んだのは自分」という自覚すら無いのかもしれない。
つまり、「潔くない」からだ。

日常において「潔さ」が育っていないのだ。
「決めたのならやれ」当たり前の事だ。
そうすることで、我慢も根気強さも、決断力も、とにかく生きていく能力の殆どが育っていくし、それ以外に育つ方法は皆無ではないかと思う。

嫌ならやめても良いよ、もちろん一理ある。
我慢しなくても良いよ、それも一理ある。
しかしだ、そこから何が育つのかだ。
こんなに変化する現代を生き延びるのは並大抵ではないのだ。

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