サイボーグ登場

「そういえば」どうして、このシーンで緊張しないのか?
昨日、高校野球を見ていて気付いた原田先生との会話だ。

先生の時代の球児であれば、例外なく緊張し、失敗も生まれ、もちろん、成功も生まれた。
しかし、TVをよく見ていると、淡々と自分のやるべきことをやっているというのだ。
そんなこと高校生が出来るのか?という疑問だ。

もちろん、選手のレベルが上がっているというのはあるだろう。
しかし、多分、その選手は「個人」であって、チームだとか場所、その試合の価値、そういった事を認識はしているが体感としてないからだろう、と推測した。
これは、実際としては奇妙な言葉になる。

実際としては、もっと小さな子供の頃からチームで試合をして来た筈だからだ。
昔は、チームに溶け込めない、という言い方があったが、現代では、多分そうではないのだろう。
チームに溶け込むというのは死語で、何の感情的繋がりを持たない個が、チームという形式を保持している、ということなのではないか。とも思う。

極論でいうと、サイボーグチームだ。
つまり、個人が個人に対して、何の関りも持てない子供達のチームだということだ。
これは怖いことだ。
生命体として、相互に反応し合っている筈なのに、その機能を壊している何かがある、ということだからだ。

コロナも危ないかもしれないが、本当の危機はこれだ。
もちろん、それは医療の世界に入る子もいるだろう事もある。
それでなくても、昨年はコロナで、医療関係の実習が行われていない。
実習で実力を付けるのに、それが無い人達が、医療の現場に入るのだ。
その子たちも可哀そうだが、現場が大混乱になるだろう。
曲がりなりにも戦力だと思われている子たちが、戦力どころか足を引っ張る存在なのだから。

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