結果と過程は混っている
「過程が大事」だと気付いたのは「結果」との兼ね合いからだ。
「結果とは何か?」ということと、私は、その結果に向かっていただけなのか?という疑問が、私の中で頭をもたげていたからだ。
そこに「時間」という軸を持ち込んでみると良く見えた。
その昔、といっても50年ほど前、「飛んでいる矢は、その瞬間には止まっている」、つまり、厳密には時間軸の中では静止の連続だという話を聞いた。
その話が、過程と結果を考える契機になっていたのだ。
この考え方は、私にはシックリ来た。
この時間軸を大きく捉えると、人の一生の結果が死であり、日々はその過程になる。
また、現在72歳の私は、誕生からの結果であり、その前日までが過程だ。
そういった事を、例えば道場建設や一つの技術の習得と考えると面白くなる。
結果には、見える結果と見えない結果がある。
違う角度で言えば、「見える結果」という視点と「見えない結果」という視点を持つことが出来るということだ。
道場建設で言えば、道場が完成した姿は「見える結果」だ。
その、完成への過程で不満足な技術や考え方が有れば、そこから新たな満足を求める。
また、建設の途中での不備に気付くが、やり直しが無理なので完成へと進める。
そういう内的な働きは外からは見えない。
そうすると「見えない結果」と「見える結果」が同時に有る事になる。
つまり、結果はどの視点で時間を区切ったかが「結果」であって、結果という「モノは無い」という事にもなる。
その方面から言えば、人生は全てが過程でありながら、全てが結果でもあるのだ。