人は前にしか進まない
何年前になるか忘れてしまったが、「人体の~展」という、それこそ人体標本だ。
その後、人道的な問題があるということで、今は行われていない。
様々な角度から人体を解剖してあった。
私が興味があったのは、人体に張り巡らされている筋や腱だ。
これらが、どこで途切れて、あるいは、どこまで繋がっているのかを知りたかったからだ。
具体的には、武道で「全身を使う」とは言うけれど、その全身をどうすれば、全身を使うになるのか?
そこの具体的対策を練りたかったからだ。
そして、私のいう連動は、どう連動するのかを確かめたかったのだ。
アキレス腱というか、踵から伸びる1本の筋を辿っていくと、臀部を超え背中に繋がっているのが見えた。
その筋はどれなのかを指摘することは出来ないが、その1本を知っただけで十分だった。
と、その時に閃いた。
確かに繋がっているのだから、繋がるように使えばよいだけだ。
その前に、関節をどう扱うのかを考えていた時期があった。
関節のこわばりが全身運動を切断する、と考えていたからだ。
その関節のこわばりは何故起こるのか?には、まだ至らなかった時期だ。
そこに「力を抜く」という言葉だけがあったので、そこをどう繋げば良いのかを模索していたのだ。
いずれにしても、一本の筋の繋がりが、それらを全て解決してくれたのだ。
そこには「感覚」という、ある意味生きている証のような働きが重要な役割をするという発見がある。
感覚を使って全身を改めて繋げる。
ここの確信は、この時に持ったのだ。
と思い出すと、よく短期間で発見しているなと、我ながら驚く。
もちろん、この当時の「感覚」ということの実体と、現在の実体は違う。
その頃の「感覚」は、もはや忘れてしまった。
遥か彼方のことのようだ。
人は前にしか進まないのだ。