人を羨まないのは

「人を羨んだ記憶が無い」と妻との会話。
小学生時代の遠足のお弁当は、前田のランチクラッカー1本だけだ。
それは、祖母が作ってくれないからではない。
リュックが重たいのが嫌だったから、というのが一つ。
クラッカーだけというのがカッコ良いと思っていたのが一つだが、カッコ良いと思っていたのが9割だったろうと思う。

人と一緒なのが、とにかく嫌いだったのだ。
そして、人と違うのがカッコ良いと思っていたのだ。
これは、現在でも全く変わっていない。
そこを徹底していたのだ。

だから「日野、お前の弁当はそれかい!」と言われても、「あたり前やんけ、お前らと同じようなものを食えるか」と言い返していたのを思い出す。

私には、どうして人と一緒が良いのか、さっぱり分からなかったのだ。
だから「人を羨んだ記憶が無い」のだ。
もちろん、一瞬羨ましいと思う事はあった。
でもそれは直ぐに忘れて、自分のやっていることに夢中になった。

そこから考えると、この「直ぐに忘れて」は、今に始まったことではなく、小学生の頃からそうだったということだ。
つまり、健忘症ではなく、自分のやる事に全視点が向いてしまうからだと、それこそ今気づいた。
これは生来のものなのか、幼児とか小学生低学年の時に癖付けされたのかは分からない。

もちろん、物覚えが悪いのかもしれない。
覚える、記憶するという能力が欠落しているのかもしれない、とも思うが、ドラムの頃、譜面は一度見たら覚えてしまったものだ。
ただ、これは「プロ意識」が働いているからで、それが働いていない時は、きっと覚えが悪いのだろうと思う。

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