阿吽の呼吸はどこへ

ワークショップであれ、講演であれ、とにかく、私が何かをやる時、ドラムの公演でも最初に「何か質問!」と呼びかける。
阿吽の呼吸を確かめたくて呼びかけるのだが、稀にしかそこに乗ってくれる人はいない。
それこそ、人間関係が薄くなっているのだな、と実感する。

何時のワークショップか忘れたが、ある若者が全コマ申し込んでいたのに、途中で来なくなった。
キャンセルだ。
若者は、私に「質問無いの」と聞かれるのが嫌でキャンセルします、ということだった。

その若者は役者見習いだったので、人の前で話をする、ということの実践が出来れば良いと思い、質問は無いか?と振っていたのだが、阿吽以下の反応だったという事だ。
つまり、自分の想像する目的以外の現実があると、「嫌だ」という言葉で拒否すればよいとしか社会や関係を理解していないのだ。

深く考えると、その若者は間違っていない。
その若者の環境が「嫌」を容認する環境だったからだろうからだ。
環境に洗脳されてしまったのだ。
となると、実際に「自分の思い通りにはいかない」という大きな現実から遠ざかざるを得ない。
そうすると、実は豊かな才能を持っていたとしても、それを開花させる力を付ける事は出来なくなるのだ。

自分を容認してくれる小さな世界、それこそ、仲良しクラブでしか生きられない。
となると、閉鎖的な自分を作る事で生きていくしかなくなるのだ。
日本の社会は「人を弱くする」方向にあるのだ。

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