入り口に問題があるのか?

「呑み込みが早い」という書き方をしたが、確かにそうなのだが、では「呑み込みが早い」と「遅い」には、どんな違いがあるのか?
また、呑み込み以前に、いくらやっても「出来ない」人とは、何がどう違うのか?
そんな事を考える。
もちろん、キッカケは常に「呑み込みの早い人」だ。
どうして出来るのか?を考えてしまう。

そんな出来事は、始終ある事ではない。
10年、あるいは20年に一度くらいのものだ。
もちろん、些細な事では何時もある。
武道経験もスポーツ経験も無い人が、体重移動の基本をこともなげにやれてしまう。
そんな事は始終ある。

その時でも、10年やっても出来ない人がいるから、その違いは何なのかを考える。
そういった場合、つまり、経験のない人が出来て、経験の有る人が出来ない場合は、経験の有る人には幻想が無いので、見たまま、あるいは、説明を聞いたままに取り組むから一応できる。
逆に言えば、道場では説明が行き届くようになっているので、ある程度までは、それこそ誰にでも取り組める様に組み立ててあるからだ。

しかし、経験者が出来ないというのは問題がある。
人によるが、出来ない人は、何かしらの「思い込み」を持っているからだ。
そして、自分が「どう」やっているのかを知らない事が多い。
しかし、そこで動画を活用して、自分の動画を見ても「見えていない」事が多い。

そうなると、自分自身の持つ「幻想」の中で、物事を回して、実際の自分自身を全く認識していない事になってしまう。
そんな事があるのか?
と自分を疑うが、そうとしか解決のしようが無いのだ。

となると、その自分自身を全く認識していない人を、どうすれば認識できるように出来るのか、あるいは、どんなキッカケがあれば気付くのかだ。
そうなると、どうも入り口が間違っているようにも思える。

入り口というのは、その事に取り組む時の、自分自身の幻想の事だ。
例えば、「体重移動を出来るようになりたいのか」、それを含んだ武道体術を出来るようになりたいのか、あるいは、武道家になりたいのか、武道を学んで人生で活かしたいのか。
そんな幻想だ。

ここでは敢えて「幻想」と書いているが、入り口は幻想で良いのだ。
そこから、それをどう実体化するのか、という具体的な稽古があり、現実化されていくものだからだ。
つくづく「人」という生物は、一筋縄ではいかないと思い知らされる。

ワークショップは金・土には空きがあります。

 

 https://www.hino-workshop.com/

Follow me!