子供の頃からの取り組み
昨日の神田道場は、新しい人が数人いた。
その内の一人は、実業団野球の主力選手だったが、コロナの影響もありクラブチームに格下げになったので野球を止めた人だ。
彼は、その選手時代にも時々顔を出し、体重移動等をものにして試合に活かしていた。
選手最後の試合で満塁ホームランを打てたと報告してくれた。
武道として稽古をするのは初めてだから、あらゆる事に戸惑っていた。
が、しかし、呑み込みが早く、何度か繰り返すうちに、黒帯が飲み込んでいない事も飲み込んでいったのには驚いた。
しかも、繰り返しの練習の素早い事。
言えば、ここが出来る人と、出来ない人との違いだ。
出来て行く人は、繰り返しのスピードが早い。
出来ない人は、考える時間や組んだ相手との話が多いのだ。
私も、繰り返しのスピードは早い。
その繰り返しの中で、つまり、動きながら考えているし、感覚しているからだ。
話の多い人やスピードの遅い人は、運動の後に改めて考えるからだ。
つまり、結果論として、あるいは全ては後付けなのだ。
後付けだから、当然「そのもの」ではない。
その事を認識していない事が、出来ない原因でもあるのだ。
それは、会話の速度とも正比例する。
話をしながら考えろ、が行き届いていないのだ。
それは、自分のペースでしか生きていないからだ。
社会のペース、相手のペース、職場のペース等々。
自分以外のペースに適応出来るから、それこそ結果として、そこで身に付く自分のペースの幅が広がるのだ。
それにしても、子供の頃から一つの事に取り組んでいくことの重要性を改めて感じた。
ワークショップは残り5名です。