分かりやすいとは?

昔からそうだったのかもしれない事がある。
単に私に興味が無く知らなかっただけだけだ。

それは、何かしらの集まりやセミナー等の、集め方の言い回しの事だ。
「わかりやすい・耳障りの良い言葉」が並んでいる。
そしてそれは「精神的にも身体的にもリスクがなさそう・自分でも簡単に直ぐに出来そう・優越感を持てそう(自分を特別だと思える)・お金に関しての常識観を覆しているよう・お金儲けのシステムが新しそう」というような事が共通している事に気が付いた。
見抜いている人には「今頃、何を言うてんねん」という話だ。

こういった言い回しのコピーがあると、人は集まってくる。
どうしてこれを今頃になって考えたのかというと、時間潰しや、考え事をする為にカフェに行くと、何やらの契約をする人達、何やら商品の説明をする人達、仲間集めを呼びかけている人達の姿が、やたらと目に付くからだ。
コロナのせいではないが、世の中が不透明になると、また、不安になると、こういった類のものが増える。
一まとめにいうとネットワークビジネス、あるいは、それに類似するものだ。

それが良いとか悪いとかでは無い。
ただ、そのネットワークの目的は何か?を見極める力を持って欲しいと思うだけだ。

「わかりやすい」と言うのは大事な事だ。
分かりやすい言葉に言い換える力は必要だ。
それは、私自身つくづく思う。

しかし、分かりやすいと言うのは、一般的には分かりにくく専門的、あるいは、複雑な構造を持つ、また、深遠な哲学を持つと言うような事柄を「分かりやすく」置き換えて、と言うことだ。
ネットに溢れる、こういった集客の言葉を拾っていくと、分かりやすい言葉を並べてはいるが、本質がないので何のことか分からないものが多い。
本質がないからこそ、分かりやすい言葉を使えるとも言えるのだ。

そこから見ると、日野武道研究所を「分かりやすく」すると、逆にさっぱり分からなくなる。
それは、一見分かりやすい言葉、例えば、「武道」だとしたら、そこにそれぞれの人が持つ、それぞれの想像が解釈するから、一体何?となる。
となると、武道を説明する必要がある。
で説明すると、また分からなくなるので、それをまた説明しなければならなくなる。
で、「解ろうとする人だけ」で良い、となってしまうのだ。

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