話を聞ければ発展する
技をかける側と、それを受ける側。
武道でのこの構図は、人生の営み全てに共通する。
関係そのものの瞬間的な役柄だからだ。
会話では、この役柄が目まぐるしく交代する。
ここで重要になってくる、あるいは、どちらを重視するのかは、当然受けだ。
受けが正しければ、かける側を正しく導く事ができるが、受けが曖昧だと現象に囚われてしまう。
人生では、人の話を聴くになり、武道で言えば、例えば、受けが転んだのか転ばないのか、というような事だ。
現象は、それぞれが正しければ、必然的に現れるものだ。
ここが「勝負」を基本として置いていない所以である。
もちろん、勝負という価値観に囚われている人には、この正しい受けや正しい攻めを理解することは出来ない。
自分自身を高めて行くことを目的とした時、初めてこの構図が役に立つのだ。
武道での約束は難しい。
理解しても出来ないことだらけだ。
その意味で、言葉を実体化する、ということも、稽古の一つになる。
身体を固める、というのも、受けの技術の稽古だ。
固めてある身体に、攻めの力が加わる。「どこに、どれくらい?」を体感する。
そのことで、そこからの変化や返しが、自動的に出来るのだ。
相手の話を正しく聞ければ、それに反応し会話は弾む。
同じだ。